TVを処分して5年位経つ。
TVは煩い。
TVは黒くて四角くてドーンと部屋に居座ってる感じが嫌。
OFF画面に映り込んだ自分をうっかり見てしまうのも嫌。
自分じゃない何かが映ってたら怖いし。
散々考えた。
TVがあるのが当たり前。
無いと不便じゃないか。
処分しなくても、
つけなきゃいいのではと思ったけど長年の習慣は強い。
朝、起きたらスイッチON。
家に帰ってきたらスイッチON。寝るまでつけっぱなし。
TVを無くしてよかったこと。
騒音が減った。
聴覚的に煩い。
煩いと感じない人は、感覚が麻痺していませんか。
BGMと効果音、笑い声やどよめき。
臨場感を出すために笑い声等を入れてるのだろうが、
ここで笑え、ここで驚け、と命令されてるみたい。
視覚的に煩い。
演者が喋ってること全部テロップにして、
喋ってないことも()をつけて補足する。
補足しないと視聴者が理解できないと馬鹿にしてるのか。
TV無くして良かったこと。
ニュースや情報に時間をとられない。メンタルを侵されない。
TVつければ、ニュースが流れ込んで来る。
芸能人が離婚した、逮捕された、不倫した・・・
どーでもいい。
凶悪事件、悲惨な事件、天災。
自分と関わりなければ知らなくていい。
世の中で起きた事は、否応なく耳に目に入る。
どこぞの誰が誰をどうやって悲惨な目に合わせたか。
近親者の悲しい嘆きは、いかほどか。
なぜ起きたのか。
病気か。復讐心か。
それを知ったら、事は解決するのか。
被害者は助かるのか、元に戻るのか。
朝の情報番組で、レポーターが事故にあった。
生放送だから事故の様子がすべて映っていた。
レポーターは、動けなくなっていた。
画面が切り替わったので、その人が無事か否かわからないまま家を出た。
通勤中、事故のことで頭も心もいっぱいだった。
同僚にその話をした。
ショックでドキドキがとまらないと訴えた。
共感してもらえると思ったのに。
「なんでショック受けてるの?他人のことじゃん、自分のことじゃないじゃん。」
ショックを受けてる私がおかしいという口調だった。
同僚のその言葉にさらにショックを受けた。
同僚は、それきりそのことに触れず、他の話題に移った。
私は動揺を押し殺し、なんとか会話を続けた。
今でもその事故の様子は、感情と共に記憶にある。
そのリポーターが今、元気に活躍しているのを見ると
「良かったねぇ。」と思うのと同時に
事故直後の動けなくなった体と表情を思い出して心が重くなる。
悲しいニュースは、知らなくていい。
知らなくて会話に困るならそれは、
コミュニケーションスキルが低いだけ。
適当に相槌打つなり、話題を替えるなりすればいい。
悲惨な事実を知り、ショックで苦しみ泣く。
知ってしまった負の感情から逃げられないHSP。
だから予防策として負になるものは、断つ。
ネットニュースは、
TVと違って、自分で見に行かなければわからない。
起きた事は、事実。
“そういうことがあったんだ”で終わり。
クリックしない。
TVが無くて困った事はない。
ニュースを知らなくて周りの人にびっくりされるけど
それがどうした。
私のメンタルを脅かすものは必要ない。